恩師、山下兼司先生が7月8日、他界されました。

亡くなる数日前に、レッスンに伺おうとメールをしたばかり。
お返事がないな…と思っていた矢先の訃報でした。
最後にお会いしたのは4月の門下発表会。「いい子だねぇ」と娘の頭を撫でてくださいました。

先生との出会いは10年前。
たまたま手にした、先生が監修された楽譜に付いていたCDの模範演奏が素晴らしく「この人に習いたい!」と直感で思いました。
柔らかで明るく抜けるモッチリした音、上品な歌いまわし、絶妙な音程感覚とヴィブラート…全てが自分には無く、理想的に感じました。


ネットで先生の名前を検索し、レッスンスタジオを見つけたものの、連絡する勇気がなく数週間経過・・・。
というのも、先生は私が中学生の頃読んでいたフルート雑誌の「お悩み解決コーナー」に時々寄稿されており、なかなか手厳しいコメントを書かれていて、少々ビビっていたこと。そして、楽譜に掲載された先生の写真が、風間杜夫そっくりなイケメンなのに、ニコリともしていなかったことがさらにビビりポイントとして躊躇。。。(笑)


風間杜夫といえばスチュワーデス物語の教官。果たして愛が溢れる熱血先生なのか、お悩み解決コーナーのごとくメッタ切りにされるか…
悩んだ挙句、「もうどうにでもなれ!エイヤッ!」とメール送信ボタンを押したのを今でも覚えています。

初めてのレッスンには、粗相がないように30分前に教室の建物を確認。
よしよし、5分前になったらピンポンを押そう!と意気込んだものの、私は建物の入り口を間違えており、どこから入るのか分からず慌てふためきやっとの思いで到着したら3分遅刻。
もう汗だくで泣きそうになりながらピンポンを押すと、先生が出ていらっしゃいました。

神、降臨!!という感じ。一気に心臓バクバク。
先生はドアを開けて、「あ、どうぞー」とおっしゃったままイスに座られ、前にいらした生徒さんと話込まれてしまい、もう緊張のあまりロボットと化した私はどうしていいか分からず、情けなく入り口に突っ立った状態。。
それに気付かれた先生は「あ、どうぞ座ってー」とおっしゃり、カチンコチンのまま「シツレイシマス」と着席。
遅刻を謝罪しなければ…いや、もしや気付かれてないかも…とかグルグル考えてるうちに前の生徒さんが帰られ、私の番となりました。

先生は何だったか2.3質問された後、当時直近のコンサートでやる予定だったベームのグランドポロネーズを聴いてくださいました。
私は「恐らくこの演奏で弟子入り出来るか、断られるか決まるな」と覚悟していたので、もう緊張の極地。
長い曲なのでどこで止められるかドキドキしていましたが、先生は何も言わず最後まで聴いてくださいました。

吹き終わると「なにを勉強したいの?」とあまりにシンプルな質問をされ困ってしまいました。
私は確か、先生のフルートの美しさをつらつら語り、思い切って「今後レッスンをつけていただけないでしょうか?」と尋ねると、「あなたの役に立つこと言ってあげられるか分からないけど、どうぞどうぞ」とおっしゃってくださり、やっと身体の血が通いだした感じがしたのを覚えています。

ホッとしたのも束の間、帰りの道すがら後ろ向き極まりない私は、先生の発せられた「あなたの役に立つこと言ってあげられるか分からないけど…」のくだりが非常に気になり出し、「もしかして先生は京都の御出身で、やんわり断られたのではないか…」と思い始めました(笑)
今考えると「音大まで出て、ある程度自力で勉強していかなくてはならない人間に手とり足とり教えられないけど…」という意味だったんだろうけど、どんだけネクラなんだよ?って感じよねーあはは。(ちなみに先生は九州のご出身でした。)

そんなこんなで始まった先生とのレッスン。

レッスンではご自分の吹き方を強要されることは一切なく、私がおかしな質問をしても怒ることも苛立つことも無く、穏やかに丁寧に答えてくださいました。

時にはご自分の奏法を修正されている話や考えている事を話してくだり、その度に私は「へぇ~先生でもそんな事あるんだ…」等、妙に安心したものです。

しかしながら、特にフランスもののレッスンでは、フレージングやわずかなピッチのインターバルの取り方にかなりこだわっておられ、なかなか次の小節に行けない、ということしばしば。。。

私はこれまで割と厳格な師弟関係の間で学んできたせいか、先生の飾り気のないおおらかさ、生徒への正直さ、誠実さに戸惑うこともかなりありました。

この先生の優しさに甘えてはいけない、と常に思っていましたし、どうしたら恩返しができるか・・・これは私の母もいつも心に留めておくようにと言っていました。

コンクールの前には「さ、お腹空いたからお昼食べに行こう!帰ってからまたレッスンだよ」とおっしゃりラーメン屋に連れて行ってくださったこと。先生が御馳走してくださると言うので恐縮してしまい、慌てふためき「先生、私ちゃんと働いてますから大丈夫です!」と言うと、あはは~と笑って「煮玉子もつけるよー」と言って、結局ご馳走になってしまったこと。

冷蔵庫からりんごサイダーを取り出し、私に1本。先生1本。「1冊終わるまでやるよ」と長ーい初見デュエット大会をしたこと。

コンクールで賞を取ってくると、「よかったよかった」と言ってデジカメを取り出し、賞状を持った私をぱしゃりと撮影。次にレッスンに行くと部屋に写真が貼ってあって、嬉しいやら恥ずかしいやらで、「先生・・・これ外していいですかぁ~。。。」と懇願したこと。

リサイタルには生徒さんを引き連れて来て下さり、オペラシティで宴会して帰ったとメールをくださったこと。

もう全てが懐かしく、温かい思い出として心に残っています。

いつだったか、私が伸び悩んでいたとき、先生がおっしゃってくださったこと。

「人間ね、いつチャンスが訪れるか分からないものだよ。いつ来てもキャッチできるように準備しておきなさいね」

この一言にとても救われました。そして、先生が若いころ大変な思いで入手したであろう楽譜を「久保さんが持ってた方が役に立つから」と言って数冊くださいました。

音大を卒業して、果たして自分がフルートで生きていけるのか、諦めて方向転換をした方がいいのか・・・一番悩みを抱える時期に一人でも自分を信じてくれる人がいる、というのは本当にありがたいことでした。

今、なんとかフルートで仕事が出来ているのは先生がいてくれたからだと思います。

私が30代にさしかかる頃には別の心配をされていたようで・・・

「浮いた話はないの?」とよく聞かれました(笑)

ようやく結婚の報告をすると本当に喜んでくださり、主人と挨拶に行くと「うちのタカヨをよろしく」と言って下さいました。

本当に嬉しかったです。

先生がご病気になられ、入退院を繰り返されるようになった頃に私も妊娠、出産となり、この1年間ろくにレッスンに通えなかったことが心残りです。

最後に先生は、ご自身の葬儀で私にドビュッシーのシリンクスとバッハの無伴奏パルティータからサラバンドを演奏するように、と宿題を残して去っていかれました。

そんな辛い事は到底できない、と思いましたが、これも先生に私の演奏を聴いていただける最後、そして生徒として先生の恥にならぬ演奏をしなければ、と思い、お腹に力を入れて演奏させていただきました。

きっと「えー?そんなピッチなのー?」とか、近くにいらして笑われていたかも知れませんが、先生へ言っても言いつくせない「ありがとうございました」が伝わっていればいいな・・・と思います。

この数週間、フルートを開けると先生のことが思い出され、なんとも辛い日々でしたが、これから私がしっかり活動していくことが先生への一番の恩返しになるはず。そして私の生徒さん達は先生にとっては孫弟子。先生に教えていただいたことをこれから自分なりに深め、高め、生徒さんへ伝えていきたいと思います。

先生、本当にありがとうございました。

あ、ちなみに写真は約9年前。初めて門下発表会に出させていただいた時のもの。

私も若いけど、先生も若ーい!やっぱ風間杜夫だ!(笑)

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